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ナ チ ュ ー ル

ナ チ ュ ー ル

化学 正四面体からの始まり (1)(2)

● 第2章  正四面体(tetrahedron)

∠ この章の登場項目と登場人物
**正四面体分子 メタン分子
**錚々たる化学者


**酒石酸の異性体・・・パスツールの偉業
**ファント・ホッフ・・正四面体説 空間の化学

★ メタンCH4正四面体型分子(tetrahedral molecule)の謎解き

★-1  メタン
  *****「チャンスは心構えの在る者に訪れる」・・パスツール
  *****「稀薄溶液の浸透圧は絶対温度と溶液のモル濃度に比例する」
・・ファント・ホッフ
  *****「方法も重要であるが、その方法が正確に適用されるかどうかは『操作に全面的に依存している』実験の腕前が常に必要条件となる。」   ・・マイケル・ファラディp140
図2-1 メタン
メタンCH4は、有機化合物として最小の化合物であり、構造単位としても正四面体という最小単位である。 日本名=沼気、地球上で過去営々と、沼などでブクブクと湧いて出ている気体として知られている。
このメタンの謎を、化学者が何百年に渡って情熱を注いで解明してきた。なぜこの物質がこれほどの情熱を注ぐ魅力があったのか。この謎を正四面体の視点から見てみよう。その謎解き歴史には、錚々たる化学者達が関わっている。炭素という元素の特有さに魅せられた人たち。そして炭素化学の幕開け、その前夜だったのか。

★-2  酒石酸の化学歴  化学者の錚々
★ 酒石酸結晶 前夜
このメタン正四面体説に至るまでの道のりに忘れてならないのは、ルイ・パスツール(1822~1895)の業績である。パラ酒石酸ナトリウムアンモニウムの結晶から右旋性結晶と左旋性結晶を分離したのである。十九世紀初頭の化学者のターゲットテーマは、元素の特定や化合物の元素割合を探る出すことがメインテーマであった。当然、立体化学など興味の範疇外というのがこの時代であった。
葡萄酒から酒石酸カリウムが得られることは古くから知られていた。もともと酒石という名前も葡萄酒のコルク栓に付いていた結晶から由来している。酒石酸(tartaric acid)の生産は、当時ほとんど唯一といってよい化学産業であった。葡萄酒醸造工業の産物であり、入手容易な化学物質であり、化学の発展に寄与した物質でもある。この頃、酒石酸の関連物質は、発見ラッシュであった。酒石酸関連と周辺の化学の歴史をチェックしておく。酒石酸の歴史を掘り下げるだけでも、化学の歴史の一端が伺える。

※ 1672年 セニットf-01   ロッセル塩Rochelle salt (酒石酸ナトリウムカリウム)合成
ピエール・セニット (フランス 1632~1698年)1672年にロッシェル塩を合成した。その製法を秘密とし販売し、数年で財産を築いた。医薬品合成のパイオニア。

※ 1769年 カール・シェーレf-02   酒石酸を分離 
カール・シェーレ Karl Wilhelm Scheele (スウェーデン、1742~1786年) 薬剤師の徒弟として、化学実験から化学を独学していくという、実践を通じて学ぶタイプの人物だった。当時の薬剤師は薬の精製のために化学実験の装置をもって、自分で精製・調薬していた。酸素はジョゼフ・プリーストリーが発見したということになっているが、(1775年王立協会に論文提出) シェーレは、全く別に発見したことでも有名である。1772年、栓をした空瓶の中で黄リンを燃焼させ、瓶を逆さにして栓を抜くと、水が瓶の中に約4分の1入ってくることを見いだしている。(鈴) この酸素の発見は、シェーレが、この発見を記した著作『空気と火について』の出版が1777年と遅く、酸素の発見者は今では、プリーストリーとなっている。1776年にシュウ酸、1779年に腐敗した牛乳から乳酸を単離、1784年に クエン酸 などの有機酸を見つけ出している。この時代の酸の発見の歴史を見てみると、シェーレの実績は突出している。  ・エッセンシャル化学辞典

・酸発見の歴史
1630 二酸化炭素 J.B.van Helmont
1646 塩酸 J.R.Glauber
1703 純氷酢酸 G.E.Stahl
1743 オルトリン酸 A.S.Marggraf
1764 ヒ酸 H.Cavendish
1769 酒石酸 K.W.Scheele 
1776 シュウ酸 K.W.Scheele
1777 硫化水素 K.W.Scheele
1778 モリブデン酸 K.W.Scheele
1779 乳酸 K.W.Scheele
1782 シアン化水素 K.W.Scheele
1784 クエン酸 K.W.Scheele
1785 リンゴ酸 K.W.Scheele
1786 没食子酸 K.W.Scheele
1786 フッ化水素酸 K.W.Scheele
1813 ヨウ化水素酸 J.L.Gey-Lussac
1814 塩素酸 J.L.Gey-Lussac
1833 ベンゼンスルホン酸 E.Mitscherlich
いかにシェーレが、酸化合物の発見に寄与したかがよくわかる。
・痛快化学史 5章 
・[啓林館 化学1 改訂版 第1節 酸と塩基]
 

※ 1774年 プリーストリー f-03 酸素の発見  
ジョゼフ・プリーストリー Joseph Priestley (イギリス 1733~1804年) 神学者であり、自然科学者、哲学者であつた。
炭酸水の発明、気体の研究、酸素(1774年)をはじめ、アンモニア、塩化水素、酸化窒素、亜硫酸ガスなどを発見。
1774年 酸化水銀を加熱し金属水銀と未知の気体を生成。
    2HgO → 2Hg + O2
この未知の気体が酸素であった。
代表的著作 『電気学の歴史と現状』1767 『物質と精神についての論考』1777  『諸種の空気についての観察』1773
伝記図表でのガントチャートグラフは有名。1794年イギリスを離れ、アメリカに亡命。
 ・化学大家   ・入門化学史  ・「化学」 東京化学同人
シェーレ vs プリーストリー

※ 1776年 ボルタ f-04   メタンの発見  
   
アレッサンドロ・ボルタ Alessandro Volta (イタリア 1745~1827年) イタリアの物理学者。 1776-1777年メタンの発見、 1799年ボルタ電池の発明。このボルタ電池の世界に与えた影響は、極めて大きい。化学者は電気分解という全く新しい武器を手に入れた。1807年にハンフリー・デービ(Sir Humphrey Davy)はボルタ電池を用いてさまざまな物質の電気分解を行い、カリウム、ナトリウムを発見した。1808年にはカルシウム、ストロンチウム、バリウム、マグネシウムを発見した。
   ・人物で語る化学入門  

※ 1808年 マリュー f-05 Etienne Louis Malus  氷州石(方解石CaCO3)の結晶を通過した光は、偏光することを発見。 F有機化学



※ 1812年 アラゴf-06  偏光フィルターの発明
フランソワ・アラゴFrancois Jean Dominique Arago(フランス 1786年~1853年)
フランスの数学者、物理学者、天文学者。子午線弧長の測量のためアラゴとビオは1806年にスペインに派遣されている。1811年頃から光学の研究を行い、1812年 偏光フィルターの発明。1820年、電磁石現象の発見。 鉄棒に電線を巻き電流を流すと鉄棒が強く磁化されることを発見する。1824年、アラゴの円板を発見。アラゴ本人は回転磁気と呼んでいた。各家庭に見られる積算電力量計は、アラゴの円板の原理を応用したもの。
1884年に国際子午線会議で、グリニッジが世界時(Universal time)の基準として決定。この時フランスは、棄権している。フランスのプライドが許さなかったのか。それまでは、世界各地に設定されていた。

「ARAGO メダル」は、パリ子午線の測量に尽くしたアラゴの名と、南北の方位を示すNとSの文字を刻んでいる。



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● 第2章の2  正四面体(tetrahedron)

∠ この章の登場項目と登場人物
**正四面体分子 メタン分子
**錚々たる化学者
**酒石酸の異性体・・・パスツールの偉業



※ 1815年 f-07ビオ  有機化合物の液体の光学活性を発見
J.B.ビオ(フランス1774~ 1862年)物理学者 1803年4月26日、フランス・レーグル付近に大量に落下した隕石雨が、レグール隕石である。この隕石は、隕石の研究の歴史に重要な役割を果たした。この時、フランス科学アカデミーはジャン・バティスト・ビオを調査に送り、ビオは隕石が宇宙起源のものであるという報告を行っている。この隕石の研究により隕石宇宙起源を明確にした。1804年、ジョセフ・ルイ・ゲイリュサックと熱気球にのって5000mまで上昇し大気圧の研究を行った。偏光の研究により偏光計を考案し、パスツールの研究に繋がっており、この偏光計が使われている。1820年にフランスの物理学者ジャン=バティスト・ビオとフェリックス・サバールによって発見されたビオ・サバールの法則とは電流の存在によってその周りに生じる磁場を計算する為の電磁気学における法則である。この法則は静電場に対するクーロンの法則に対応する。[この法則によって磁場は距離、方向、およびその電流の大きさなどに依存することが論じられる。この法則は静的な近似の元ではアンペールの法則および磁場に対するガウスの法則と同等のものである。]
  ・Wikipedia   ・「パスツール」 大月書店 

1819年  ミッチェルリッヒ  結晶化学での同形概念を提唱

※ 1821年  f-08ジョン・ハーシェル 石英結晶の右半面結晶・左半面結晶での、光学活性を発見   
ジョン・ハーシェルJohn Frederick Herschel (イギリス1792~1871年) 父ウィリアム・ハーシェルは、天王星を発見した天文学者。1821年 石英結晶の右半面結晶・左半面結晶での、光学活性を発見。1834ー38年のあいだに南アフリカ喜望峰での天文学的観測。1839年世界で始めて天体望遠鏡にカメラを取り付けて撮影した。
・ハーシェル協会HP  ジョン・ハーシェルの生涯


※ 1828年 f-09ゲーリュサック  ラセミ酸を発見  
Joseph Louis Gay-Lussac (フランス 1778 ~1850年) 1802年に「気体の熱膨張に関する研究で、定圧のすべての気体は1度の温度上昇に対して一定の比で膨張する。」というシャルル・ゲーリュサックの法則を発表。1804年8月24日26才でビオと第一回目の熱気球で高度上空の研究、同年9月16日に単独で二回目の熱気球での研究。この二回目の熱気球では、凍死寸前であったといわれている。水を構成する水素と酸素の体積比に注目して精密な実験を繰り返し行い、「水素2体積と酸素1体積から気体の水2体積ができる。」という結果を得ている。1808年に「気体どうしの反応では、反応に関係する気体の体積の間には、同温、同圧のものとでは簡単な整数比が成り立つ。」という「気体反応の法則」を発表する。1808年にホウ素の分離、1814年に沃素の分離に成功している。
1807年に化学者ベルトレとラプラスの許に結成されたアルクイユ協会に9人の若者が集った。その9人は、ゲーリュサック、ビオ、探検家アレキサンダー・フンボルト、化学者テナール、ベルトレの息子、植物学者ド・カンドル、物理学者アラゴ、マリュス、化学者デュロンである。

  ・「水の話」   ・「人物化学史」

※ 1830年 f-10ベルセリウス   酒石酸とラセミ酸は異性体であるとし、ラセミ酸をパラ酒石酸と命名
ベルセリウスJacob Berzelius(スウェーデン,1779~1848年)は、セリウム、セレン(1817)、トリウム(1829)の3元素を発見しており、カルシウム・バリウム・ストロンチウム・タンタル・ケイ素の分離を行った。近代化学を築いた一人である。精密で巧妙な定量分析によって化学原子論を強化し現在の値に近い原子量を得ている。1826年ポリ酸でもあるモリブデン酸アンモニウム (NH4)3PMo12O40・aq の塩を合成し、組成分析。
こうして、約2000種の無機化合物の成分を決定し、当時知られていた49元素うち実に45元素の原子量を決定している。そして、現代の元素をローマ字で表記する化学記号の基礎を築いたのはベルセリウスである。しかしながら、ドルトンは、ベルセリウスのこの記号を認めなかった。ドルトンは、
ベルセリウスの記号は、全くひどいものである。化学を学ぶ若い学生は、これらの記号を理解するくらいなら、いっそヘブライ語を習ったほうが早いだろう。彼の記号では原子は無秩序である。
あのもっとも簡単で、利便性の高い理化器具試験管(test tube)は、ベルセリウスによって発明された代物である。ベルセリウスは、20年の歳月をかけた著述「化学教科書」、死ぬまで27年間発行し続けた「科学の進歩の年報」の偉業がある。
・[化学の歴史] ・「人物化学史」・JST NEWS
 
1832年 ビオ  酒石酸は光学活性 1838年 パラ酒石酸は光学不活性
1833年 E. Mitscherlich  ベンゼンスルホン酸
1841年 プロヴォステーユが酒石酸の各種の塩についての実験結果を発表した。
1844年 ミッチェルリッヒ 
ベルリン大学のミッチェルリッヒの報文に「酒石酸ナトリウムアンモニウムとパラ酒石酸ナトリウムアンモニウムとは、化学組成、結晶形、比重、複屈折、水溶液の屈折率がいずれも同じであるが、ただ水溶液では酒石酸塩は光学活性で、パラ酒石酸塩は不活性である。」化学種の定義(化合物の原子の数、比率、配置が同じであれば、同一の種に属する。)によれば、同一の化合物ということになるのではないか、というものであった。パストゥールはこれを読んで、半面像への言及がないことから、ミッチェルリッヒもそれを見落としたのではないかと考えた。パスツールは、パリ二月革命の真っ直中に、右手・左手の結晶形からの謎解きを始めたのである。1848年のことである。

※ 1848年 f-11パスツール 酒石酸塩の光学異性体の発見
Louis Pasteur (フランス 1822~1895年) 近代細菌学の祖。パスツールの入学した1843年エコール・ノルマルには、化学教授バラール、結晶学アユイの弟子である鉱物学教授ドラフォス、バラールの化学教室のローランがいた。ギーソン氏は著書「パスツール・・実験ノートと未公開の研究」でパスツールの酒石酸の発見に化学者ローラン氏の影響が濃いことを説いている。
パスツールの業績を纏めておくと
最初の業績としては、酒石酸の光学異性体の解明(1848年)(26歳)がある。この結晶学に関する博士論文により、ストラスブール大学の化学の教授の地位を得た。1854年ワイン製造業者からの「ワインの腐敗原因を調べてほしい」という依頼を受け、これが彼を微生物学の研究に向かわせる契機となった。1860年自然発生説論争、1861年に『自然発生説の検討』を著し、従来の「生命の自然発生説」を否定した。1862年、低温殺菌法の開発。1865年(48歳)、かいこ微粒子病の解明、カイコの卵への原生生物の感染であることをつきとめた。
家禽コレラワクチン (58歳) 家禽コレラは、感染性の強い病気で、この病気にかかるとほとんど壊滅状態であった。なんどもの失敗の後、なんと放置した培養液でのワクチンで初めて成功した。


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